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日本にも動物保護法を作ろう!

「動物愛護管理法」改正案の問題点

 

2011年10月30日

太郎の友 今井真

「動物保護団体監視法案」は憲法違反

 現在改正が予定されている「動物の愛護及び管理に関する法律」では《 動物愛護団体を動物取扱業として法律の体系の中に含め、基準や監視する仕組みの構築 》を目指して政府民主党により法律の改正が進められています。

*《 》内は環境省中央環境審議会動物愛護部会動物愛護管理のあり方検討小委員会の提言です

 本改正案の目的は環境省検討小委員会提言どおり、実際に動物の保護を行う民間団体群を対象に、すでに監視の仕組みがある「業界」へ法律により強制的に編入させることで行政の管理下に置き、従わない場合の任意の民間団体の活動の停止を命ずること、活動自体を認めないこと、逮捕・勾留を可能にすることなどを含む「特定民間団体群監視法案」の合法化を目指すものです。動物保護団体の動物保護の原因は、殺処分を行う行政と行政殺処分を存続させる立法者にあり、「動物保護団体監視法案」は憲法第19条「良心の自由はこれを侵してはならない」に反するものです。本改正案には身寄りを失った動物の行政保護義務も明記されておらず、また行政殺処分や残酷な殺処分方法を用いることも規制の対象に加えられていません。特定の取扱、特定の取扱者だけを例外的に取締りの対象に置き、一般規制を欠くことは憲法第14条「法の下の平等」に反する重大な憲法違反です。「一般規制を怠っている」ということは「その他大部分の規制を行っていない」ということであり、法の目的に反し、行政自らの虐待を放置し、行政殺処分を放置し、取締りによって行政収容された動物の殺処分を容認し、被災動物の行政による放置を容認するものです。政府民主党は「特定団体群規制」を直ちに破棄し、動物保護法の中に一般規制と一般許認可制(ライセンス制)を導入することによって、憲法に叶った正当な方法を用いて、行政殺処分と虐待の解決を図るべきです。

 この法案は、強制力を行使するしないに関わらず、本改正案「多頭飼育規制」の導入とともに、行政殺処分に反対する動物保護団体を確実に駆逐するものとなるでしょう。しかし憲法には第十四条 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」第二十一条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」第十八条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」とあります。この法案は強制力を行使することによって「結社の自由はこれを保障する」に抵触し、強制力を行使しない行政の任意の優遇措置、排除措置によって、行政の恣意的な国政の運用を戒めた憲法の前文「国政の権威は国民に由来する」に抵触するものです。環境省の公式文書には動物保護団体を監視の対象と見なすことができる第三者が検証可能な資料が一切記されておらず、現在環境省は、動物保護団体群の公共の福祉に反する事例、動物虐待の事例、犯罪の事例を「把握していない」としています。かつて誰かが違法状態にあったとの噂を聞いたので、その人の特徴にどこかがなにか似ている人々が属する団体群を監視するために法的強制力をもって拘束しよう!などという発想は憲法の対局に位置するもはや犯罪者の発想です。動物虐待防止目的による動物取扱状況の確認であれば「動物取扱者の確認体制」を構築すべきであり、違法行為の取締りであれば「現実に存在する違法行為」を取り締まるべきです。本改正案は著しく憲法に違反しており、この法案を産み出した環境省検討小委員会と現行法には憲法に反する根本的な問題が存在していると見ることができます。

 本改正案は「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」や「破壊活動防止法」、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」のように「犯罪事実」への処罰や規制ではなく、「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」のように、その団体群が共通して不法行為を行う者が構成員となっている団体群を対象とするものでもありません。本改正案では動物保護団体群をはじめから非合法組織・犯罪を行う組織と同列に置き監視する違法法案です。

 通常法律の導入は、何らかの犯罪や公共の福祉に反する行為、人権擁護に反する行為を制限する目的を持つものです。しかし本改正案のように、目的そのものが人権を侵害すること、憲法を侵害することであるような法案は極めて珍しいものです。環境省検討小委員会の冒頭の提言を憲法の文言に沿って言い換えると「特定の国民は、法の下に平等であることは保障されず、信条、社会的身分により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別される」従ってこの特定の国民には「結社の自由を保障しない仕組みを構築し、犯罪に由る処罰の場合以外にも行政への隷属及び法的拘束を認める法律を構築する」というものです。戦中戦前の日本やナチスでかつてあったという話ならともかく、現代の日本で法案と憲法違反が等号で結ばれるような法案が公然と審議されるなどということはあってはならないことです。政府は動物保護法を形成する際に、動物に対する人間が引き起こした問題、その結果動物が人間に引き起こしている問題を正しく認識して、日本国憲法の理念から出発して動物保護法を形成すべきです。人権理念を欠く手法で、一般規制の制定を怠って、誰かをスケープゴートとすることは間違っているばかりか、本来の規制を怠ることで問題を解決する妨げになるものです。

 

現行法の憲法違反

 環境省検討小委員会提言には、わずか一行の法案目的の中に様々な憲法違反が混入しています。現行法にはすでに今法案における憲法違反に共通する様々な憲法違反があり、すでにこの法律は法律の体を成していないと見ることができます。動物取扱業を規制する際に、法律内でことわり無く、行政殺処分をはじめとするその他多数の動物飼育取扱を除外していることは「法の下の平等」を毀損する憲法違反です。動物保護法が憲法に反しないためには、行政殺処分をはじめとする全ての動物の取扱を対象とする以外に「法の下での平等」を確保する道はありません。現在、自然保護行政の中で野生動物として捕獲・殺処分が行われる動物に関しても、人間が野生生物に何らかの関与・干渉を行うかぎりその除外は不当です。また外来生物は本来占有下に置かれた動物がその取扱の不備から野生化した動物です。従って野生動物が何らかの取扱事業の対象となる場合はたとえ食肉に供する場合であっても、「法の下での平等」を確保するために、その事業、その取扱を動物保護法の管轄下に置かなければなりません。現在「動物の愛護と管理に関する法律」は、何らかの規制を導入しようとすると、あるいはことわりなく規制の対象から除外しようとすると、この不平等さから必然的に憲法に抵触する法律構造を備えているのです。

 「動物の愛護と管理に関する法律」は現在「動物愛護法」【動物の保護】と「動物管理法」【動物を殺処分すること・飼育者が飼育できないようにすること】の二つの目的を持つ法律として制定されています。しかしこの構造は、互いに相反する理念により動物の保護が阻害される構造を備えています。ざる法である「動物愛護法」とは異なり、実効力を持つ「動物管理法」は、人間が他の生物を正当な理由なく殺処分する法律として著しく憲法の理念に反しており、早急に「動物の愛護及び管理に関する法律」から排除し、新たに「動物保護法」を制定する必要があります。

 

動物虐殺法

 動物虐待防止の観点に立つ場合に、動物保護団体を規制する前に統治者がまず行わなければならないことは、放置された動物の保護と行政殺処分の廃止です。ですから行政保護義務を加えない改正運動は間違っているのです。統治者が動物を保護しなければならない現場に行って保護しさえすればそもそも動物保護団体の手に動物は渡らなかったのです。統治者は動物を保護しなければならない状況を産み出さないように、遺棄・放棄・虐待・飼い殺し・過剰繁殖・放置を防止する制度と法律を設けなければならないのです。この制度と法律を導入していれば問題は簡単に解決していたはずです。しかし現在の統治者は保護しなければならない現場に行かず、捕獲や引取りを求められれば自ら殺処分を行い、殺処分を防止するための事前の対策や制度や法律も形作ろうとしてきませんでした。統治者は、もし殺処分防止法案を作るとすれば現在野放しになっている多くの行政殺処分が容易にできなくなることを恐れているのです。この法律およびこの法案は動物虐待の防止、つまり「動物愛護法」ではなく、統治者が虐殺を安心して継続するための法案、つまり「動物虐殺法」であることが判るのです。

 

現行法の成り立ちと動物取扱業規制の真の目的 

 現行法は2000年の「動物の保護及び管理に関する法律」の改正によって原型がほぼ形成されたと言うことができます。現在動物愛護団体が動物愛護法改正の眼目に置いている動物取扱業を取り締まる方向性はこの時の改正運動によって決定されたということができます。この改正運動で1998年「動物の法律を考える連絡会」によって提案された重要項目はほぼ現在の愛護法の中に含まれています。しかし多くの動物愛護団体に問題にされなかった重要な法案がこの時含まれています。それは「引取り殺処分動物種の拡大法案」です。改正運動の本来の目的は殺処分される動物を無くすこと、つまり引取りを無くすことであったはずです。それにも拘らずこの法案ではそれまでの「犬猫の引取り」をなぜか「犬猫等の引取り」とわざわざ引取り動物種を拡大する奇妙な法案が含まれています。私たちはこの「引取動物種の拡大法案」を理解することで現行法の恐るべき本当の姿を理解できます。

 2003年9月「外来種新法を問う!」として「新法でとくに問題と考えられる飼養下の動物の管理問題との関連を検討しよりよい法律制定を目指す」とし実施されたWWF Japan他主催のシンポジウムにおいて、「引取動物種拡大法案」を提案した団体は以下のように述べています。「移入種対策では、動物の輸入規制や、動物取扱業者の規制(許可制)、遺棄の防止対策に取り組む等の予防的措置を取ることが最も重要であり、費用対効果が大きい」「この部分を所轄する法律として動物の愛護と管理に関する法律があり、輸入、販売、展示等の動物取扱業を届出制とし、動物の遺棄に罰則を設けている。」「この法律を強化することによって、動物(哺乳類、鳥類、爬虫類)の流通規制と飼育の管理を行うことができる。」「野生動物のペット販売等の規制については、多くの動物愛護や福祉の市民グループはペットショップやふれあい施設等に問題があれば行政に通報し改善指導を求めるなどの行動をとっており、また、動物を捨てないように日常的に一般に向けて普及活動を行っている。」「人間がまいたトラブルの種を人間が刈り取ることは必要だが、同時に、これ以上トラブルの種をまかないという努力をしなければ、費用と労力と生命を乱費するばかりになる。」としてこれまで取り入れられたあるいは本改正案で盛り込まれた様々な規制強化を挙げています。注目すべきは「動物福祉的な措置」として「どうしてもやむを得ない場合の安楽死の基準を設けること」としています。その理由として「水際規制や飼育規制が強化された場合、一時的に放棄・遺棄・捕獲される動物が増える事態を避けるため、事前にこのようなガイドラインを定める必要がある」と述べています。1998年「引取り動物種拡大案」、2003年「飼育外来動物安楽死案」、本改正案「動物保護団体監視法案」「多頭飼育規制法案」を提案する団体の「動物の愛護及び管理に関する法律」の形成主旨は一貫して、外来生物を追いつめる施策を動物管理法に盛り込むことに向けられてきたことがこの講演の内容から判ります。規制が一般性を持つことなしに偏重していた原因、公正さを重んずる人や平等な感覚を持つ人がこの法律に抱く違和感の原因はここにあるのです。

 

生物多様性国家戦略の一部としての「動物の愛護と管理に関する法律」

 2002年地球環境保全に関する関係閣僚会議決定ではすでに「動物の愛護及び管理に関する法律」は完全に「生物多様性国家戦略」の一部となっています。そこには次のようにあります。

以下

【 動物の飼養に際しては、飼養動物の自然生態系への導入、移入による在来生態系への影響などの生物多様性保全上の問題を生じさせないようにすることが重要であり、その適正な管理が必要となっています。

 特に、家畜化されていない野生由来の動物の飼養については、動物の本能、習性 及び生理に即した適正な飼養の確保、終生飼養の確保には一般的に困難が伴うことなどから、限定的であるべきものです。さらに、ひとたび逸走、放逐等により自然生態系に移入された場合、生物多様性保全上の問題が生じるおそれが大きいことから、飼養者の責任による適切な管理が重要であり、動物取扱業者の適正な業務遂行、行政の的確な支援が必要です。しかしながら、適正な飼養管理の徹底のための方策は必ずしも十分とは言えませ ん。このため、以下の施策を展開します。

(1) 飼養管理の適正化

- 217 -「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下、「動物愛護管理法」という。)に基 づき、適正な飼養保管の確保のためによるべき基準であるペット動物等の飼養保管に関する基準の見直しを行います。また、動物販売時において、適正な飼養及び保管方法に関し適切な説明がなされるよう措置するなど、動物取扱業者の業務の適正化などの取組を推進するとともに、動物愛護推進員やその活動を支援する行政、関係団体などが協議会などを通じて連携を図り、動物の飼い主が、上記飼養保管基準等に基づき適切な管理責任を果たせるよう支援する体制を整備します。】

以上

 自然を私物化する事業は国家戦略として多大の資金と労力を掛けて着々と勧められているのに対して、動物保護事業に関しては改正運動から13年を経た2011年に至ってもまだ、残酷な殺処分を禁止する規定一つ設けられないでいます。国が動物愛護管理法に盛り込むものは「生物多様性国家戦略」からの要請以外何もありません。現行動物愛護法とは、種の保存理念に基づいて策定された「生物多様性国家戦略」の一部である「特定外来生物法」の飼育動物管理部門を担う「動物管理虐殺法」に過ぎなかったのです。

 

特定外来生物法とは

 「特定外来生物法」とは「ニュルンベルグ法」(ユダヤ人差別法)同様「種の保存」理念に従って「増殖すべき種」と「地上から排除すべき種」を任意に定め、野生動物の大量虐殺を合法とする法律であり、いかなる方法でもそれらの動物を保護できない仕組みを持つ法律として策定されています。その基本理念は1993年発行「生物の多様性に関する条約」第8条h「生態系、生息地若しくは種を脅かす外来種の導入を防止し又はそのような外来種を制御し若しくは撲滅すること」です。生物多様性理念にとって移動させられた動物とは、在来希少種を侵す感染源、汚染物質であり、生物多様性理念はそれらの動物種の地上からの除去により各国の清浄国化を目指すものです。「特定外来生物法」は特定の動物たちを非倫理的に取扱うために、自然界を非科学的に分類し、自然界の存在への「法の下での平等」を踏みにじることで成立する唾棄すべき差別法です。「外来生物法」はあらゆる基本的権利を侵害し、憲法の理念をことごとく排除することで成立する虐殺法です。本改正案は、野生動物と野生動物を保護する人々に対して行ったことを、飼育動物と飼育動物を保護する人々に対して行うこと、苦しむ動物が保護されないようにすること、保護する人がいなくなること、保護動物の駆逐と動物を保護する人々の駆逐こそ、改正動物愛護法が目指す真の目的です。

 

外来種排斥政策と本来の動物保護政策の共通点

 外来種排斥政策と本来の動物保護政策は、外来種問題の原因が人間の不適切な動物の利用・飼育・取扱による逸走・遺棄にあることから、その予防のための施策において理念の相違はあるもののしばしば見かけ上一致します。海外からの動物の輸入は「よそものの流入」の観点において排斥主義者にとって許しがたいものとなります。一方、本来の動物保護にとっても、生息地から引き離される動物たちの不幸は許しがたいものです。動物の殺処分の際に苦痛を与えてはならないとする動物福祉の安楽死規定は、排斥主義者にとって反発を避けてスムーズに外来種を殺戮するための押さえるべき施策です。遺棄の原因が動物取扱業者の不適切な飼育取扱にあればその規制は両者にとって必要な事柄になります。しかし動物愛護運動が、見かけの施策が一致するからといって外来種排斥主義者に協力したり排斥を容認したりすれば、その結果生ずることは動物たちの虐殺です。

 動物愛護団体が外来種排斥主義を容認すればすでに定着した動物たちの運命には、殺戮されること以外の道は残されていません。生物多様性条約第5回締約国会議文書、原則13 「実現可能で費用対効果が高い場合には、撲滅は定着した侵入種に対する他の措置よりも優先的に行われるべきである。侵入種を撲滅する最良の機会は、個体群が小さく地域的な分布にとどまっている侵入の初期段階である。」外来種根絶主義者の基本原則とは他のどんな対策よりも皆殺しが最優先の対策なのです。外来種とは、海外や国内のどこかから拉致された飼育動物、遺棄された飼育動物、身寄りを失った飼育動物です。動物愛護団体が外来種撲滅政策はやむを得ないと見て見ぬふりをする結果は、結局のところ動物愛護団体が本来守るべき動物たちの殺戮だったのです。生物多様性条約第5回締約国会議文書、原則1 「外来種の生物多様性への影響が予測不可能だとすれば、意図的導入に関する決定と同様に非意図的導入の発見と予防は、予防的アプローチに基づくべきである。 潜在的に侵入種あるいは潜在的な経路によってもたらされる環境上の、社会的、経済的なリスクに関する科学的確実性の不足は、潜在的な侵入種の導入に対して予防措置をとらない理由として使われるべきではなく、侵入の長期的な影響に関する確実性の不足は、撲滅、封じ込め、制御措置を先延ばしする理由として使われるべきでない。」とあります。つまり「証拠は無くてもすぐ殺せ!」というものです。なぜなら有害鳥獣駆除や生活被害のように「被害があるから払い除ける」のではなく、「そいつはよそものだから生かしてはおけない」のです。生物多様性政策は自然科学的認識と自然科学的手法を用いないのです。保護は逸走や遺棄の危険があるため避けなければならない事柄です。また保護ができるとなれば撲滅政策に多大な影響を及ぼすことになるでしょう。撲滅主義者は決して行政の保護義務規定を設けることはありません。国民には殺さなくてもいい方法を教えないようにして、動物福祉と称する「安楽死規定」を設け、行政が殺処分しなければならないように法律を形作ることになります。2004年、「特定外来生物法に対するNGO声明」では次のように述べています。「すでに飼養されている特定外来生物の野外への放逐を防止するための措置を講じ、一時的にでも収容するシェルターを設けること」と。「動物福祉に基づく安楽死規定」とは「うまく殺(や)れ!」ということです。

 外来種根絶政策に奉仕する「動物愛護管理法」の規制強化は動物の保護を目的とするものではないため必然的に「引取殺処分の動物種拡大法案」のような、身寄りを失った飼育動物の撲滅政策に辿り着きます。遺棄への厳罰と殺処分制度の拡大は同じ目的を持っています。遺棄への厳罰化は動物福祉の理念から動物愛護法に取り入れられたものではないのです。それは「特定外来生物法」の厳罰に対応するものです。規制強化に含まれる福祉規定は撲滅に奉仕するかどうかで取捨選択されます。これらすべての結果は、スケープゴートを作ることで撲滅主義者の殺戮を取締りの範疇から除外し、また撲滅政策を利する規制強化を他のなによりも優先して制定しようとするため、その他多くの虐待防止規制が除外され、「動物の保護」と「法の下での平等」を毀損する法律が誕生します。現行法及び改正動物愛護管理法を支持する動物愛護団体は、動物の撲滅を目指す法律を意図的・非意図的に支持・容認することで間違った道を歩むことになるのです。野生動物の虐殺政策、飼育動物の虐殺政策を推進する国、政府、環境省、審議会、検討小委員会委員は、生物多様性政策による虐殺政策を動物愛護政策と偽ることで日本の動物愛護団体をコントロールし、残酷な施策を誰からも妨害されることなく遂行している、というのが真実の姿なのです。

 

本来の動物保護法とは

 動物保護活動は他の人権擁護民間活動同様、政府や行政、既存の法律の不備によって引き起こされた問題の是正を行う活動です。法律の不備が問題であるのに話しをすり替えて改善しようとせず、さらに利己的な理念で規制を行う結果、「動物保護団体監視法案」のような憲法に抵触する法案を産み出しています。本来、日本の国内法である動物保護法は日本国憲法の理念から出発しなければならないものです。動物に係る特別法といえども憲法に背いてはならないのです。動物に係る際の道徳心から出発して、基準とする一般規範を定め、誰に対しても平等に、行ってはならない行為とその罰則を定め、動物の取扱状況の確認を誰に対しても平等に行い、一般規制として査察・指導・取締りの実効性を確保する制度と不適切な飼育取扱をなくす制度の導入が行われるべきなのです。現在の日本のように国民の動物福祉意識が希薄で、生活のあらゆる場面で広範に動物の飼育取扱が行われる現状では、不適切な飼育取扱者を新規飼育取扱時に制限するライセンス制度の導入以外に虐待や行政殺処分、被災動物の放置を解決する方法はありません。「飼育取扱ライセンス制度」とは要するに、これまで何十年と動物愛護団体が譲渡時に行ってきた「飼育取扱前の審査」と「飼育指導」です。法律はこれに法的権限を与え、行政は動物愛護団体と熊本市動物管理センターが行っていることを真似ればよいのです。これまでのように原因の解決を放置して対症療法に右往左往するのではなく、事前の対処が不可欠です。この法的権限を持つ事前の対処が欠ければいくら行政ががんばってもいずれ行き詰まらざるを得ないのです。そのためには一般飼育者、業者、行政も含めて例外なく飼育取扱を審査対象とする以外「法の下での平等」を確保する道はありません。行政の犬猫殺処分、海洋生物を含めた食肉に供する場合の屠殺方法、狩猟方法、野生動物の行政駆除、外来種撲滅事業、感染症予防のための家畜の殺処分方法、海外製品を含めた毛皮加工時の動物の取扱状況、日本国籍を持つ者の海外での実験とその施設の取扱方法など、これまで放置されてきた飼育取扱も含め法の下の平等を毀損することがないようにしなければなりません。そして既存飼育者に対しては動物が放棄される事態を防止するため、確認(査察)・指導・取締りに限定することが必要です。動物保護法が本来の目的を逸脱してはならないのです。地域の指導者、自治会長、指導員、行政職員などが家庭や取扱業者を訪問し、飼育状況を確認し、指導、審査を行うことで容易にこれまで手付かずだった問題を解決に導くことができます。生活に根付いた査察・指導・取締り制度を欠いた美辞麗句ばかりの法律では動物を苦しみから救うことは絶対にできません。行政殺処分を廃止するための遺棄の防止は、環境省が国家戦略としてマスコミを総動員して外来種の皆殺しを実現した時のように、これを正しい事柄のために使用すればよいのです。これらの手続きなしに特定の誰かを優遇したり狙い撃ちするような取締り・行政行為は「法の下の平等」に反するのです。

 

本来の動物保護法と現行動物取扱規制の関係

 さてここで動物取扱業者の規制強化を推める動物愛護団体には疑問が生じます。「取扱業者の規制が憲法に抵触すると言うのならこれまで進めてきた動物虐待を防止する規定は無に帰してしまうのではないか?動物保護団体は自分たちの査察を逃れるためすべてを台無しにしようとしている。」と考える人もいるかもしれません。しかし上記の、一般法を設けて免許制にする方法では、一般規範を家庭動物に置くと仮定し、保護目的を適用から除くとすれば、終生飼養が原則として定められるため事実上動物取扱業は禁止されます。現行法や本改正案は実際には様々な規制の解除が行われた後の姿なのです。つまり業者は最初から優遇されていたのです。動物愛護団体が自分たちは規制強化の運動に努めていると思い込まされていたものは実は、1998年の「動物の法律を考える連絡会」や行政が最初に設けた業者への優遇措置を小出しに取り払う作業だったのです。同様に行政の殺処分についてははじめから一般規範の全面解除が行われていると位置付けることができます。犬猫の殺処分には規制がなにもないのです。法律外で基準があっても何の意味もありません。法律に禁止がなければ守られないのです。自然保護の分野では動物保護の理念が皆無であるためすべての殺処分・殺害・残酷な殺処分方法の使用が全面解除されています。憲法に基づいて動物保護法を形成しようとすると現行法・改正案の本当の姿が明らかになります。自然保護分野の殺戮は、2000年の最初の動物保護管理法の改正以降無制限に拡大されています。21年度には野生鳥獣合わせて約200万頭(羽)が殺されています。2000年前後からの外来生物の殺戮事業、行政許可の都道府県からの市町村への拡大、狩猟規制の緩和、また22年度30万頭の牛豚、23年度170万羽の家禽の殺処分など家畜感染症の新たな問題への殺処分の拡大があり、動物虐待が改正ごとに改善されているというのは実は幻想だったのです。また一般飼育者にあっても遺棄・過剰繁殖・飼い殺しの防止、虐待の査察(確認)・指導・取締り制度がまったくないため事実上の全面解除であると言えます。全面解除の典型的な例は保健所への遺棄が罪を問われない事例です。2004年の「特定外来生物法」制定前後にはその法律の規制から違法飼育となるのを恐れて夥しい数の飼育動物が遺棄されています。その殺処分数は把握さえ行われていません。

 

規制対象外の事例

 規制対象から除外されているものでここ数年の事例を見ると、昨年話題になった口蹄疫殺処分があります。消毒薬静脈注射による殺処分、炭酸ガス殺処分・電殺機を含め殺処分された牛・豚は29万頭に上ります。獣医師が処置に当たったものの麻酔薬による意識消失がなかったため殺処分は凄惨なものになりました。致死法に関してはOIE国際獣疫事務局の国際基準があり、国の殺処分方法の「基準」があります。国の基準では「殺処分動物の殺処分方法は、化学的又は物理的方法により、できる限り殺処分動物に苦痛を与えない方法を用いて当該動物を意識の喪失状態にし、心機能又は肺機能を非可逆的に停止させる方法によること」と明確に規定しています。意識喪失状態にもたらす義務は「できる限り」の文言で無効になっている訳ではないのです。しかし無効にしたい人々の力が強く、また強制力がなく、監視制度や指導制度もないため効力が皆無です。禁止と動物保護団体を含めた監視制度がない改正は間違っているのです。現在農水省は殺処分方法の見直しを予定していますがその内容が安楽致死方法であるかどうかは現在判りません。23年10月作成の農林水産省消費・安全局動物衛生課「口蹄疫に関する防疫作業マニュアル」では消毒薬静脈注射は除外されておらず、殺処分実施者である地方自治体はパコマ消毒薬を用いる予定です。韓国では昨年22年11月から今年23年4月までの間に大規模な口蹄疫が再び発生し350万頭が殺処分されています。日本でも動物保護法での残酷な殺処分方法の禁止がなければ再び凄惨な殺処分が繰り返されることになります。また家禽では23年度170万羽が高病原性鳥インフルエンザで炭酸ガス殺処分されています。犬猫豚と同じこの方法は鳥の場合苦痛をもたらさないのでしょうか?犬猫では今では苦痛があると考えられています。しかし豚ではこの方法は苦痛をもたらさないのでしょうか?方法や動物種により苦痛があったりなかったりするとすれば、個々の動物や方法で適正使用の方法を規定しなければならないはずです。適正使用以外は禁止しなければならないはずです。また口蹄疫での電殺器による致死処置、麻痺処置、一般の屠殺時に用いられる電気麻痺は本当に苦痛を与えない方法なのか多いに疑問があります。また口蹄疫殺処分時には、電殺器によって致死処置されたはずなのに穴に埋められる時に意識が戻り這い上がって来るという事例も報告されています。検討小委員会、民主党は次の口蹄疫でも動物たちをこのような方法で殺すつもりなのでしょうか?

 その他規制から除外されているものではまず狩猟があります。21年度は獣類で35万頭が殺害されています。狩猟には生活のための狩猟は少なく、スポーツハンティングや娯楽のための狩猟が多く含まれています。また行政が駆除したいと思う動物は「狩猟鳥獣」と指定することで駆除許可なく狩猟者が狩猟として殺害できます。検討小委員会委員長は2010年8月の外来生物対策シンポジウム「生物多様性第3の危機!!」で「アライグマのように見た目がかわいい動物には、本当に殺していいのか、と感情がわき、哺乳動物の処理はなかなか難しい」と述べ、動物を殺すことによって生じる心の痛みを回避する4つの方法を挙げています。すなわち1、紳士的回避法ー食べる、動物は神があたえたもの、2、哲学的回避法ー動物には心がない、単なる機械的反応、3、アニミズム的回避、4、殺す人と食べる人の分離、です。実際駆除動物の食肉利用、毛皮利用は着々と勧められています。駆除を駆除の外見をとらずに実施する方法が年々増えています。狩猟者とは国にとっては駆除目的の要員でしかありません。事実上狩猟は駆除事業なのです。ただこの分野でも生物多様性政策からの要請による希少種・在来種保護の観点からの狩猟の規制は取り入れられる方向にあります。しかし生物多様性保護の枠を外れる外来種は狩猟鳥獣と指定されるなどして狩猟・有害駆除合わせて少なく見ても哺乳類だけで21年度約3万頭に上ります。(外来種としてのイノブタはイノシシと区別が付かないため除外してあります。)外来種の駆除は他に「特定外来生物法」による駆除が21年度年間3万頭あり合わせて6万頭の哺乳類が殺害されています。外来種は狩猟・有害駆除・学術研究・職務上の捕獲・外来生物法による駆除と多くのカテゴリーで殺害されています。しかし動物保護上の規制は何もありません。「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」はその目的を(資源としての)「鳥獣の保護を図るための事業を実施するとともに、鳥獣による生活環境、農林水産業又は生態系に係る被害を防止し、併せて猟具の使用に係る危険を予防することにより、鳥獣の保護及び狩猟の適正化を図り、もって生物の多様性の確保、生活環境の保全及び農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、自然環境の恵沢を享受できる国民生活の確保及び地域社会の健全な発展に資することを目的とする。」と定義しているように動物福祉の概念は存在しません。特に外来生物に至っては地上から消し去ることが目的とされているため現場の自治体、駆除員が福祉に配慮することはありません。「家畜伝染病予防法」「外来生物法」「鳥獣保護法」など動物の福祉を目的としない法律に動物福祉規定を入れるのは至難の技です。動物福祉規定は現在「動物の愛護及び管理に関する法律」が管轄しているのですからこの法律だけが動物たちは頼りなのです。残酷な殺処分方法の禁止は今回の改正で絶対に入れなければならない項目なのです。

 陸上野生哺乳類では他に21年度35万頭の有害鳥獣駆除があります。狩猟や外来種駆除、学術研究などその他すべてを合わせると21年度は75万頭(報告分のみ)の陸上哺乳類が殺されています。鳥類では21年度140万羽の駆除があります。海悽哺乳類は他に約1万頭のイルカ・クジラの殺害があります。海棲哺乳類の残酷な捕殺方法については農林水産省所管の法律はなく、査察・指導の規制はありません。そして野生動物全体で膨大な違法狩猟や無許可駆除があります。これは実態さえも判りません。ここで重要な問題として特定外来生物法による子供たちの魚やエビの駆除事業があります。これほど教育上恐ろしい事業はそうそう見ることができません。今回の改正では露天商の金魚すくいが検討小委員会で問題になっています。ところがこれは動物保護法上の問題としてではなく、外来生物を撲滅する観点からの飼育後の放流が問題とされているのです。しかもこの子供たちの殺戮事業は動物愛護管理法上では何の議論もなされていません。

 さてそれでは飼育取扱動物の民間殺処分はどうなっているのでしょうか。民間飼育取扱動物の実態は判っていません。確認しないのですから判らないのは当然です。つまり現行法・改正案では民間殺処分はごっそり規制対象外なのです。目に見えるペット販売の方法の規制は今回の改正案で多数俎上に上っています。それは市民の目が監視制度となっているため効力があります。しかし目に見えない民間殺処分、飼い殺し、虐待については他に防止制度が必要なのです。

 以上のことからわずかに規制が残っているのは実は、全面解除を行わなかった一部の動物取扱業者だけなのです。業者の不祥事はしばしば新聞やテレビを賑わわせています。しかしこの業者の指導取締りさえその効力には疑問があります。もし本当に取扱業者が取り締まられているとすれば業者の破綻による飼育放置は存在しなかったはずです。保護制度が何も存在しないために結局は殺処分されるか一部の人々に押し付けるかのどちらかなのです。つまり現在の動物取扱業者規制とは告発によってテレビや新聞を賑わわせるためのものに過ぎなかったのです。ほとんどすべての虐待や殺処分、残酷な取扱と残酷な殺処分が全面解除されて、保護制度も何もない中で「動物保護団体には規制を加えたい」とするのが今回の改正案です。動物愛護管理法には致命的な欠陥が存在しています。実際に動物を守るための禁止条項がなく、査察制度がなく、指導制度がなく、残酷な取扱を事前に防止する審査制度がなく、取締り制度がなく、保護制度がありません。動物愛護団体が業者規制以外に目を向けなかったために見捨てられた動物たちは苦しみの中で死んでいったのです。

 

私たちの本当の課題

 私たちの本当の課題は、様々な動物を取扱う分野で何をどれだけ規制の解除を行うのか、あるいは行わないのか、あるいは殺害を認めるか認めないのかなのです。憲法に基づいて一般法を設ける方法は規範に対して何らかの解除を行う可能性がある性格から、私たちの社会がどのように動物と向き合っているかの鏡となるものです。私たちが抱える問題ー犬猫の殺処分の問題、肉食や副産物利用の問題、皮革製品利用の問題、動物実験の問題、野生動物の駆除の問題、種の保存政策による野生動物の大量殺戮の問題等々がこの法律で明らかになります。ガンジーの言葉「国の偉大さ、道徳的発展はその国における動物の扱い方で判る」が法律に示されることになります。解除を行うことが少なければ少ないほど動物保護法が日本国憲法に近づいていくことができます。反対に解除が多ければ多いほど私たちの不完全さをこの法律が常に指し示すことになるのです。

【私たちが考える動物保護法は「憲法に基づく動物保護法 暫定版」を参照してください。】

 

人権侵害を防止する本来の規制方法

 私たちが本当に「法の下での平等」を実現しようと思えばさらに留意しなければならない点があります。それは個々の実態や性質に応じて個々の義務と権利と資格が異なる点です。ですから憲法には第27条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」としながらも「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。児童は、これを酷使してはならない」とあるのです。なんでもかんでもひっくるめて雰囲気で規制するなどという行為は人権侵害なのです。「全体主義」はすでに日本国憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」によって禁止されているのです。例えば動物病院のような治療施設は一時的な保管の性質から一般規範とは異なる基準が必要になります。同様に動物保護団体は行政保護の肩代わり、行政が憲法上の保護義務を怠った尻拭いの性質から行政の査察資格自体が無効になります。この場合は保護が生じた原因に立ち返って行政の保護義務を遂行させる措置が必要になります。目の前の現象に囚われず問題の本質を認識することが必要になるのです。時間を遡ることは不可能ですが、その埋め合わせは可能です。憲法第17条「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」に従い、新規に法律を整え、動物保護団体への賠償を査定する民間人を任命して、民間査定者が行政に命じて人的資金的負担を行わせることで飼育上の必要な事柄、例えば獣医師・看護士等の派遣など、施設上の必要な事柄を行政に補完・改善させる必要があります。そしてその行政行為の結果を査定者が査察するのです。行政官による改善に不備があれば査定者が行政官を指導する形式が必要になるのです。この措置によって動物保護団体の査察を適応除外する場合の、動物福祉にも適合する本来の正当な措置が形作られることになります。以上のことから民間査定者には予めここに挙げた一連の内容が理解できていることが必要です。

 

5つの自由がもたらす倫理観の倒錯

 本改正案には他に畜産分野での「5つの自由」の基準法案が提案されています。すなわち 1 飢えと渇きからの自由 2 肉体的苦痛と不快感からの自由 3 傷害や疾病からの自由 4 おそれと不安からの自由 5 基本的な行動様式に従う自由です。しかしこの基準には「殺害からの自由」が含まれていません。法律とは異なる指針や規範であるならともかく、適用除外が不文律として存在し、あたかも崇高な理念を謳った国際憲章のような装いで殺害が合法化されるというこが法律であってはなりません。もし殺害を除外する場合には法律にすべての適用除外を明記すべきです。そうでなければ真実を覆い隠して誤摩化す法律によって国民の倫理観はますます倒錯・錯乱したものになるでしょう。

 畜産分野ではOIEの国際基準がすでにあり日本もその加盟国となっています。国内法では1995年に「動物の殺処分方法に関する指針」が環境省告示として出ており、さらに1980年の時点で内閣総理大臣官房管理室の監修「実験動物の飼養及び保管等に関する基準の解説」によって麻酔薬を用いる安楽死規定が基準として存在していたのです。それにも拘らず獣医師が消毒薬殺処分を用いたのは「基準」の問題ではなく法律に「禁止規定」がなかったからです。環境省は2004年に獣医師によってサクシン単体で殺処分された事件に対して「指針は具体的殺処分方法を規定していない。苦痛を与えないとは努力規定であり、筋弛緩剤投与が直ちに指針違反に当るとまで言えない」としています。意識を保ったまま窒息死させる薬品の使用が虐待に当たらないのではいったい何が虐待に当たるのでしょうか?これではあからさまな獣医師優遇法です。実際に動物の苦しみを無くすことができない法律など何の意味もないばかりか悪徳を増やすだけなのです。

 

殺処分を誘発する多頭飼育規制の真実

 また本改正案に含まれる「多頭飼育規制」についても重大な問題が含まれています。問題の解決方法が原因に対処しない対症療法であること、本来は一般法で規制すべきところを特定の特徴を抜き出して標的にする形で規制しようとしていること、遺棄を誘発することなどの問題が含まれています。多頭飼育の問題は理論的に分析すれば、多頭飼育だから問題が発生したと言うよりも、少数の飼育の段階から「問題がある飼育者が飼育できた」から問題が発生したというべきです。動物保護団体では通常このような事態の防止のために「飼育前の適正審査」と「適正飼育の指導」を行い、はじめから問題が生じない対策を施しています。環境省統計資料を見れば多頭飼育の問題性は少数の段階ですでに発生していると誰でも理解できるのです。ですからこの場合もまず「一般規制」と「制度」が先決なのであり、「多頭飼育規制」のような対症療法は、原因に働き掛けないため次から次へと問題が生じ、解決に至らないことは小学生でも理解できる事柄です。従ってこの法案ははじめから問題が起きたら殺処分で解決すればいいとする法案であることが判ります。

 「多頭飼育規制」を導入することでまず考えられることは2004年に導入された「特定外来生物法」による飼育規制導入時の遺棄の多発同様の多数の動物が遺棄される事態です。「特定外来生物法」の導入ではこの法律を推進したNGO4団体が遺棄の危険を事前に表明しています。2004年「特定外来生物法に対するNGO声明」においてWWFjapan、日本自然保護協会、日本野鳥の会、地球生物会議の4団体は特定外来生物法の成立を歓迎し、さらに厳しい外来生物対策を講じることを求めた上で、「すでに飼養されている特定外来生物の野外への放逐を防止するための措置を講じ、一時的にでも収容するシェルターを設けること」と声明を発表しています。その準備としてすでに1998年の段階で「動物の法律を考える連絡会」は動物管理法での保健所での外来生物の引取り殺処分を要望し、民主党は2004年の時点で動物管理法による外来生物の引取り殺処分を決定していたのです。「多頭飼育規制」が対象とする犬猫の場合はすでに保健所での引き取り殺処分制度が確立しているため、査察する行政官が保健所への遺棄殺処分を飼育者に強制すること、あるいはそそのかすことは確実です。この法案は虐殺推進法案なのです。

 また一概に多頭飼育といっても過剰繁殖や収集癖による不適切な飼育から、多数の動物を保護しているというものまで性質は様々です。すべてをいっしょくたにしてとり扱うのは「法の下での平等」に反しているのです。これではまるで罪人が岡っ引きとなって罪人と保護司を一緒にしょっぴくようなものです。ここでもなぜ請願団体と民主党は「動物愛護団体を適用から除く」としなかったのかと疑問が生じます。実際本改正案での他の項目ではわざわざ動物園などの規制解除が検討事項として挙げられていたのです。特定の法案・規制が人権侵害を起こす場合は規制の解除が容易にできるのです。動物保護は動物愛護法の中で唯一日本国憲法の理念に合致する部分です。それならばなぜ「多頭飼育規制」で動物愛護団体は規制が解除されなかったのか?と問うことができます。しかしよくよく考えてみると、もともと動物愛護団体は監視と規制の対象として冒頭の憲法違反の法案で標的にされているのです。つまりこの二つの法案はもともと動物保護団体や動物保護活動を不必要とする観点で導入されているということが判るのです。

 

現行法の問題点

 ここで現行法の不備を指摘しておく必要があります。現行法では、行政殺処分や野生動物の大量殺戮を推進する人々の手で法律が形成されているため、最も重大な虐待である行政殺処分や野生動物の大量殺戮を取締りの対象から除外する必要があり、一般規範自体が錯乱する事態に陥っています。最初から法律の人倫が荒廃しているのです。そのため罰則規範や取締り規範が一貫性・公平性を確保することができず、同じ行為、たとえば飼育者の動物遺棄がある場所では合法でまた別の場所では重罪となるなどの不整合が生じています。現行法の最高規範が「何人も動物をみだりに殺してはならない」では国民は何がみだりな殺害で何がみだりでない殺害なのかが判断できないでしょう。遺棄が合法となる場所では行政が一般規範を破って殺してくれることを国民はよく知っているのです。「動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない」では苦しめなければ殺害はそもそも合法なのか?と考えなければならないでしょう。虐待を防止すると言いながら自分たちの虐待は虐待ではないのだからと言うのではもう言葉はありません。動物取扱業者は事実上の許認可であるのにその許認可事業を地方自治体はせず、一方で取扱業者は規制すると言いながら特定の業者には何の理もなく規制を除外して、同じ虐待がある人たちには特別な規制の対象になり、その他大部分の人たちはこれもまた何の理も無く適用を解除されているという恐るべき不合理がまかり通っています。しかし動物保護団体だけは忘れず取り締まろうとしているのです。罰則はあるのに誰も取り締まらない、しかも理解に苦しむ適用除外がある、しかし全体として外来生物対策に有効と思われる規制はしっかり導入して、それ以外は何の規制もせず、何の動物保護も行わないという点では統一性が保たれているのです。環境省は虐殺のための制度だけはマスコミを総動員して民意を形成し、多大の資金と労力を払って完璧に形成しています。遺伝子汚染をもたらすとされたタイワンザル皆殺し事業で和歌山県は、捕獲した一頭一頭のDNAを調べタイワンザルの血を引いているとした混血日本猿を全頭殺処分する力の入れようです。それならばもっと安価にできる犬猫同様の不妊処置をして自然に帰せばよかったのです。保護をするとこんなに巨額の費用が掛かると嘘を付いて世論を誘導し、放っておいたら混血種ばかりになると煽動し、保護をする場所もないと言っては殺さない政策は一切実行しないのです。ここでもまた小委員会委員はタイワンザル殺戮計画である和歌山県ニホンザル保護管理計画に賛同しタイワンザルの安楽死を勧めています。行政のタイワンリス殺処分では捕獲器の中で死ぬまで放置され、しかししばらく経つと「安楽死処置をしていた」と嘘を付き「皆殺しは合法だから何が悪い!」と開き直るのです。環境省は学名が同じ動物を「猫」と「ノネコ」は違うと強弁し、マングースを地中で圧殺する捕獲器を考案し、アライグマの手を挟むエッグトラップを導入し、研究者はアライグマに回虫がいることを証明するためだけに無数の殺処分をし、被害の原因をねつ造し、「今後害を及ぼさないとする証明はない」として無数の動物種を害獣に指定し、皆殺しにしています。ナチズムと同じ「種の保存主義」による虐殺がまかり通るなら法律など無用の長物でしょう。なぜ日本には野生動物の虐殺や虐待を取り締まる法律がないのでしょうか?このような「法の下での平等」に反する無茶苦茶な構造を持つ法律はほかに見ることができません。

 

不法手続きによる行政殺処分の合法化

 さらに「行政殺処分」の合法性が法律以外で規定されて、行政が規定したということで行政殺処分が合法になるというのでは国会が唯一の立法機関であることを犯すものです。泥棒が泥棒を合法とする法律を泥棒のねぐらで勝手に作っているようなものです。「法律に殺してはいけないと書いてないから殺してもいい!」和歌山県タイワンザル殺処分担当行政官の言葉はこの法律の本当の姿を言い表しています。親方であり給与支払い者である国や地方自治体が好き勝手に動物を殺しているのであれば、もはや警察官は動物の法律など真面目に受け取ったりはしないでしょう。もはや規範はどこにもありません。人間の動物界・自然界への行為を司る法律と政府はどこにも存在せず無政府主義がはびこりナチズムの嵐が毎日吹荒れているのです。行政が悪徳を見本として示す結果、人倫はますます荒廃し動物を苦しめる様々な状況を無制限に産み出す事態に至っています。行政が殺害を合法としているなら国民が動物福祉を守る必要もありません。行政が動物をゴミのように扱うなら国民の過剰繁殖の結果も、行政が廃棄(殺処分)から焼却に至るまで面倒を見ることになります。行政はもはや被災地に動物が置き去りになっていても心の痛みを感じることはありません。大量消費、大量廃棄が国民の習い性になっているのです。しかしある人々にとっては保健所で殺すより放置したり飼い殺しにしたりどこかに捨てたり押し付けたりする方が人道的なのです。人間生活を営む場合の、動物からの弊害は実はこれらのことで生じています。法律作成者が法律作成時に悪を行い、その弊害を法律作成者が悪で解決する循環の構造が出来上がっているために「人間に被害を与える」として動物たちが殺されているのです。民衆の不満を手っ取り早く緩和するために、自分たちの悪の結果を手っ取り早く解決するために「法の下の平等」に反する取締りと罰則が次々と設けられ、人権侵害をものともしない方法で特定の誰かをスケープゴートにすることによって対症療法としての解決が図られる事態に至っています。もはや全体主義が私たちの社会を支配していると言うべきものです。国は動物に係る業務を自治事務としておきながら、実際には動物保護のためには使い物にならない法律を作って動物虐殺を推進しているのです。

 

不法手続きによる行政行為

 現行法ではまた国会の決議を経ないで政令や条例が法律の一部となる規定が非常に多く見られます。許認可の要件や罰則を伴う法律が後で勝手に作られたのでは国民は何を頼りに法律を理解すべきか判らなくなってしまうでしょう。いったいこのような法律を誰が許したのかと驚くばかりです。憲法はこのような行政の越権行為を防止するために第41条「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と定めています。そして現行法38条、39条では何の臆面もなくわざわざ一般社団法人、一般財団法人、獣医師の団体を抜き出して特別扱いする規定まで記されています。もはや現行法は腐りきっています。さらに「都道府県等が行う施策に必要な協力を行うこと」として協議会・推進員から行政に批判的な団体を閉め出す口実を盛り込んでいる始末です。人は壁を設けるとそれを乗り越えようと熱狂します。「動物保護団体監視法案」は強制力を持つ持たないに関わらず今後ますます行政や検討小委員会、一般社団法人、一般財団法人、獣医師の団体、特権的に法案が採用される請願団体に気に入られたいとする動物愛護団体を増やすことでしょう。隷属を喜びと、光栄だと感じる人々を生じさせることでしょう。そしてこれら動物愛護団体の働きは、殺処分に反対する動物保護団体を無力化すること以外になくなるでしょう。こうして「あらゆる権力は堕落する」のです。

 さらに法律改正時の審議過程には重大な瑕疵が存在しています。「動物保護団体監視法案」の審議では、意見聴取団体がわずか一団体であり、しかもそれさえ具体的な保護事実がない団体で済ませています。監視法案請願団体の代表である小委員会委員の推薦団体だけが意見聴取を受けるというのであれば審議過程は監視法案推進者で占められることになり不正の循環構造ができあがっていることになります。そもそも殺処分に反対する団体が審議に加わっていないことは法律形成の方法に瑕疵があるのです。

 これら特定の団体を優遇し、特定の団体を排除する規定や方法こそ動物の苦しみが放置される原因です。「置き去りになった被災動物を救助しない」とし、蓄財に勤しむ一般社団法人、一般財団法人、獣医師の団体と行政の癒着こそ、被災動物が置き去りになって苦しんでいる真の原因です。しかし日本国憲法はこうした行政の恣意的な越権行為を防止するために前文において国政の権威は行政ではなく「国民に由来する」と定め、第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めているのです。動物保護法はこうした破廉恥な仕組みや行為に対してもそれを許さない仕組みを持つものでなくてはならないのです。現行法はあまりにも憲法を踏みにじる規定が多く、その結果動物たちが苦しみの中に放置されています。本改正案はこれまでの悪徳を温存しさらに悪を付け加えるものです。この法律は動物の苦しみを長引かせる以外できないでしょう。しかし私たちは、今回の改正で正しく法律を形作るだけで被災動物の、殺処分される動物の悲惨な現実を変えることができるのです。

 

憲法に対立する動物愛護管理法

 「特定外来生物法」の一部として虐殺を推進する「動物管理法」はその理念ゆえに、普遍的人権規定を定めた日本国憲法と鋭く対立する性質を備えています。言い換えると「動物管理法」は人権侵害と高い親和性を備えているのです。そのため環境省検討小委員会では人権侵害を当然のこととする軽佻浮薄な審議が行われる事態に至っています。このような人権侵害法案の出現を今後許さないようにするためには、自然や動物を対象とする分野においても普遍的人権規定ー憲法の源となった普遍法ーつまり「自然法」に基づき法律を形成する必要があります。動物界・自然界への人間の規律は誰に対しても平等に適用されるのでなくてはなりません。またどの動物をも平等に守るものでなくてはならないのです。私たちは日本国憲法のような本当に優れた法律を最高法規として持っているにも拘らず、動物関連法ではその最高法規を踏みにじるような法律と執行機関しか持てないでいます。誰かが利己的な目的のために動物を虐殺するならばそれは間違った行為であり、私たち人間にはその行為を止めさせる義務が生じます。そのことが正に動物を救い出す動物保護であり、虐殺する者の行為を制限する動物保護法の形成です。動物保護団体や自然保護団体が行う動物保護とはそれが利己的な目的で行われていないとすれば自然法が私たちに指し示す行為なのです。検討小委員会委員は動物保護の経験もなく、またその理念もないためこのことがまったく理解できないばかりか、むしろこの理念に敵対する理念を保持しています。そして正にそれ故に虐殺を推進する小委員会委員が、動物保護団体を監視の対象にしています。

 私たちは自然関連法・動物関連法ですでに導入されている自然法に鋭く対立する様々な法律「特定外来生物法」「特定鳥獣保護管理政策」「生物多様性基本法」「種の保存法」「動物の愛護及び管理に関する法律」「狂犬病予防法」「家畜伝染病予防法」を分離・廃棄・見直しを行って、飼育動物・野生動物の虐殺を防止するための憲法に基づく「動物保護法」を新たに制定する必要があるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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