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日本にも動物保護法を作ろう!

 太郎の友では、行政・企業・民間による残酷な殺処分方法の廃止、残酷な捕獲方法の廃止、不当な殺処分の廃止、不当な根絶政策(外来種根絶政策)の廃止、不適切な飼育方法の廃止、身寄りを失った動物の行政保護義務の法定、民間保護活動への行政支援の法定、すべての動物関連事業への飼育取扱ライセンス制度の導入、すべての動物関連事業を監視する第三者機関の創設、これらの法改正による実現を目指しています。

大きな問題

 2012年に改正された新しい「動物の愛護および管理に関する法律」は、動物たちの苦痛を解決するための懸案がほぼ未解決のまま成立しています。またそれまでの法律以上に悪しき内容が含まれています。

 以下の国会議員へのアピールでは事前に推測された法律案を元に改善を要請したものですが、成立した法律にはすべての懸念が実行に移される結果に終わっています。

 残酷な殺処分方法を用いることは合法として温存され、行政が殺処分を行うことも合法化が計られています。また新たに加わった「動物愛護団体監視法案」も動物愛護団体の反対もなく成立しています。

 このような状況を招いた大きな原因は、1998年以降、動物愛護法の改正を主導してきた動物保護団体の性質、動物への姿勢にあります。しかしもっと深刻なのは、多くの動物愛護団体が、極めて激しい苦痛を動物に強いる法律案にさえ反対せず、さらに支持したことです。「一部改善した」という動物愛護団体があるかもしれません。しかしその数百倍の苦痛を見て見ぬ振りをしたのです。動物愛護団体・動物保護団体こそ現在の動物の悲惨な状況の元凶です。

 現在の「動物の愛護及び管理に関する法律」は単に動物管理法であり、日本には動物保護法は存在しないと言わねばなりません。私たちには現在「日本にも動物保護法を作るように!」と動物たちから要請されているのです。

 

国会議員へのアピール 「動物愛護管理法」は動物殺処分法 改正案に反対します

 

2012年5月17日

 

太郎の友

北海道動物保護協会

(外来種根絶政策に抗議する日本のNGO)

 

賛同団体

ねこともの会

宮島の鹿愛護会

プラーナ

一般財団法人 日本熊森協会

 

 

 

 現在、「動物の愛護及び管理に関する法律」の改正を間近に控えています。しかし今回の民主党・環境省改正案(2011年12月案)では、行政殺処分に対して何の規制もなされないまま野放しになっています。同様に民間殺処分も放置されたままです。そして最も悪質な動物虐待ー残酷な殺処分方法を用いることも規制されないまま野放しになっています。

 

 改正案ではそのほかに様々な虐待を誘発する施策が盛り込まれています。「多頭飼育規制」は2004年「外来生物法」同様の飼育動物の遺棄および行政殺処分の増加を招くものです。そして様々な形式で盛り込まれている「動物保護規制」「動物保護団体監視法案」は今回の改正でも最も悪質な改悪案であると言うことができます。本改正案は動物保護法というよりもむしろ「動物殺処分推進法」というべきものです。

 

 民主党は2004年「動物愛護法」に「引取殺処分動物種の拡大」を盛り込むことを決定しています。動物保護団体からの要請を受けたこの恐るべき法案こそ、改正案の基調となる動物虐殺の傾向です。民主党が政権を得てはじめてとなる「動物愛護法」の改正を迎えている現在、次々と唾棄すべき法案が盛り込まれています。野生動物や野生化動物の問題では、殺すことを推奨する法律「外来生物法」が公然と実施されており、本改正案では殺すこと以外の方法を用いることや、殺すことを禁止することがまったく顧みられないでいます。虐待を規制しないことで「動物愛護法」はもはや、動物虐待を継続したい人々の道具と化しています。

 

 「動物愛護管理法」は動物保護法の一種にもかかわらず、動物を保護する具体的規定は何一つありません。改正運動から14年が経過した現在に至ってもまだ一度もそのような具体的な規定が改正案の俎上に載せられたことはありません。代わりに、国家権力を用いて動物を強権的に捕獲したり拘束したり殺処分したりすることは常に合法なのです。口蹄疫で牛豚に実施された窒息作用を持つ消毒薬殺処分を、私たちは「動物愛護法」を示して止めることができません。次の殺処分でも行政は牛や豚に消毒薬を用いる準備をしています。日々繰り返される犬猫の殺処分、極めて激しい痛みをもたらすと言われている炭酸ガス殺処分は「動物愛護法」に守られています。今や「苦しめること」と「虐殺すること」の上に私たちの社会が成り立っています。「動物の愛護及び管理に関する法律」は、その内容から「動物管理政策」を廃棄して、殺処分を実施する行政行為を管理・制限し、日本国憲法に基づく「動物保護法」へと転換する必要があるのです。

 

 

 

残酷な殺処分方法が禁止されていないことに関して

 

■口蹄疫での牛豚消毒薬静脈注射殺処分

 

 2010年には口蹄疫による29万頭に上る牛豚の殺処分が実施されています。口蹄疫ウィルスからの清浄国化を目指すこの大量殺処分では、麻酔薬を用いることなく、神経筋接合部のクラーレ様窒息作用を持つ消毒薬を静脈に注射することで殺処分が実施されています。クラーレ様窒息作用とは、全身骨格筋の抑制作用により目・耳・足指(短筋)→四肢の筋→頚筋→呼吸筋の順に麻痺し窒息死する作用であり、北米の科学者の集まりであるScientists Center For Animal Welfare (SCAW)では、極めて激しい痛みをもたらす処置カテゴリーEと位置付けられ「カテゴリーEの実験は、それによって得られる結果が重要なものであっても、決して行ってはならない」とされています。(脚注1)また米国獣医学会ではこの消毒薬に含まれる神経筋遮断薬と溶剤を用いた殺処分をいずれも「不適切な安楽死の手段」と位置付けています。また日本の国立大学動物実験施設協議会ではクラーレ様作用を持つ薬剤に対して「全身麻酔などの適切な処置が施されていなければ使用してはならない」としています。日本も加盟国である国際獣疫事務局(OIE)の規約では「動物が防疫目的で殺処分される場合、用いられる方法は、即死もしくは即時の意識喪失状態のまま死ぬという結果になるべきである。意識喪失が瞬間的に起きない場合、意識喪失への誘導は、嫌悪を起こさせない,あるいは動物の嫌悪が出来る限り最小限に押さえられるものであるべきである。動物に避けられるべき不安、肉体的苦痛、疲労や精神的苦痛をもたらしてはならない。」とし「多量の麻酔薬と鎮静薬を使用した薬殺は、中枢神経の機能低下,意識喪失に引き続き、死をもたらす。実際には、その他の薬剤と組み合わせてバルビツレート麻酔薬が一般的に使用される。」としています。また日本の国内法である「動物愛護管理法」に基づく告示第105号「動物の殺処分方法に関する指針」では動物の殺処分時の基準として「当該動物を意識の喪失状態にし、心機能又は肺機能を非可逆的に停止させる方法による」と明確に示しています。国内法では他に、すでに1980年の段階で内閣官房管理室監修「実験動物の飼養及び保管等に関する基準の解説」で、クラーレ様作用を持つ薬剤の使用に関して「サクシニ-ルコリンクロライドのような筋弛緩剤を用いることは、動物が眠るように倒れるけれども、意識消失を伴っていないので不適当である。」と規定しています。しかし現在の日本の法律では、2000年の動物保護法改正を機にこのような具体的記述は削除され、さらに「できるかぎり苦痛を与えない方法」や「努めること」や「社会的に容認されている通常の方法によること」などの文言で法律の規定さえ意図的に無効にしています。現在日本の自治体では次の口蹄疫でも消毒薬殺処分を行う準備をしています。直ちに消毒薬・クラーレ様作用を持つ薬剤を使用禁止薬剤とし、動物の殺処分時には麻酔薬による全身麻酔を義務付け、行政殺処分に反対する動物保護団体等を含めた殺処分方法の監視制度の設置を法律に定めるべきです。

 

■犬猫豚家禽炭酸ガス殺処分・サクシン窒息殺処分・硝酸ストリキニーネ窒息殺処分

 

 同様に現在「動物愛護管理法」「狂犬病予防法」において実施される犬猫の年間二十数万頭におよぶ殺処分では、激しい苦痛をもたらすとされている炭酸ガスが用いられています。直ちに炭酸ガスによる殺処分を禁止し、麻酔薬による安楽死に変更すべきです。また野犬の毒殺、引取り動物の殺処分に使用されてきた硝酸ストリキニーネ及びサクシンは、意識消失のない窒息致死剤であり極めて激しい痛みをもたらす薬剤として消毒薬同様国内および各国で「不適切な安楽死の手段」「使用してはならない薬物」と規定されており、直ちに「動物愛護管理法」でも罰則を設けて使用禁止薬剤とすべきです。2011年には家禽170万羽にのぼる高病原性鳥インフルエンザによる炭酸ガス殺処分が実施されており、口蹄疫に際しても豚の殺処分で炭酸ガスが使用されています。動物種あるいはその方法で苦痛の有無が定かでない場合は炭酸ガスの使用を禁止して麻酔薬とすべきです。

 

■屠殺時の殺処分方法

 

 海棲哺乳類イルカ・クジラの殺害時においても、その安楽死は極めて困難であり、残酷な殺害方法が続いています。安楽死が困難である以上、殺害の試みそのものを中止する必要があります。また口蹄疫豚殺処分時に用いられ、豚屠殺時に一般的に用いられる電殺器による殺処分、電気麻痺処置の苦痛の有無の検証も必要とされています。食用時の屠殺方法の無痛処置、殺処分時の麻酔薬による処置が世界標準となりつつある現在、日本が無痛殺処分を軽視することは許されないことです。

 

■野生動物の箱罠による放置殺処分・ポリ袋窒息殺処分・エッグトラップ・筒式窒息圧殺罠・トラバサミ

 

 野生動物においても、箱罠の安易な使用が行政許可捕獲において残酷な殺処分に繋がる事例が報告されています。長崎県のタイワンリスでは箱罠捕獲時にそのまま放置して死なせることが日常的に実施されています。神戸市区役所では捕獲したアライグマ8匹を檻にポリ袋をかぶせ5時間かけて窒息死させる事件が起きています。全国各地で溺死などの残酷な殺処分方法が報告されています。箱罠の安易な使用が残酷な状況を生み出しているのです。しかもこれらは氷山の一角でしかありません。捕獲・殺処分時における検証・監視制度がないことが残酷な殺処分に繋がっているのです。

 

 狩猟器具の使用許可基準にあっても、現在人間への危険の有無、希少種・在来種の混獲の有無によって定められており、動物への苦痛の有無は考慮されていません。そのため外来生物や有害鳥獣を対象とする場合には苦痛をもたらす猟具が禁止されていません。 マングースでは地中の筒の中で圧殺・窒息死させる残酷な捕獲器具が用いられています。 アライグマ捕獲で研究者が用いる拘束罠エッグトラップは拘束後直ちにその拘束を解除する器具でないこと、拘束後の福祉に配慮した処置がほぼ不可能であることから極めて残酷な捕獲器具であると言うことができます。そもそも動物を殺すことを目的とする人々にとって動物福祉は理解できないものであり、そのため福祉に配慮した取り扱いは不可能です。 またトラバサミは現在店頭で販売されており、購入者がおり、許可が得られれば合法的に使用が可能であることが、密猟・狩猟・許可捕獲・有害鳥獣駆除での違法使用に繋がっています。

 

■環境省の姿勢と実施すべき政策

 

現在環境省は「法律に禁止が明記されていない場合は、行政殺処分や残酷な殺処分方法を用いることは共に妨げられない」と考えています。残酷な殺処分を防止するためには法律での刑罰付きの禁止を明記することが必要なのです。横浜市行政殺処分における委託獣医師によるサクシン単体での猫の窒息殺処分事件で環境省は「法律は努力目標を示したものであり違法とは言えない」としています。常に虐待者と共にある環境省の姿勢が動物の苦しみを日々産み出す原因となっています。今回の改正では、殺処分方法の苦痛の有無を科学的に検証し、告示などの法律下ではなく、法律内に苦痛をもたらす殺処分方法の「禁止」を明確に定め、苦痛をもたらす殺処分方法、捕獲方法、取り扱い方法、猟具、屠殺方法を動物福祉の観点から罰則付きで全面禁止とすべきです。また「努める」や「できるかぎり」などの苦痛を与えることを容認する文言は削除する必要があります。そして従来の、苦痛を与えることを法律で容認するために、苦痛を与えることを容認する人々だけで審議をするという悪習を改める必要があります。審議・検証・監視・制度の立案では、殺処分に反対する動物保護団体と科学者で構成する第三者機関の設置が必要なのです。

 

 

 

 

 

ほとんどの虐待が規制から除外されていることに関して

 

 改正案では重大な動物虐待のほとんどが規制から除外されています。行政殺処分はもとより、行政が許可する民間殺処分、行政殺処分の原因となった民間の不適切な飼育・取扱、あるいは民間殺処分そのものが監視制度や制限もなく放置されています。改正案は虐待と殺処分を継続するための法律なのです。

 

■規制対象外の事例

 

 規制対象外となっている重大な動物虐待は動物を取り扱うあらゆる分野に存在しています。愛玩動物20数万匹(年間)の殺処分、家畜感染症による殺処分(2010年哺乳類29万頭、2011年家禽170万羽)、外来野生動物駆除6万頭(哺乳類・年間)、野生動物有害駆除70万頭(狩猟による有害駆除含む哺乳類・年間)、野生鳥類駆除140万羽(年間)、殺処分数さえ不明な民間殺処分、引き取り殺処分に至る民間飼育、飼い殺しが続く民間飼育、学校動物飼育、ペット業者の殺処分と虐待、国内及び海外での動物実験、学術研究による殺処分、殺処分と虐待に至る娯楽利用・使役利用、残酷な飼育方法や取扱方法により製造された製品の輸入、海外からの生きた動物の輸入、家畜の屠殺、海棲哺乳類の殺害など枚挙にいとまがありません。むしろ規制されている殺処分・虐待は何も無いと言えます。

 

■規制と名付けられた殺処分制度

 

 規制が強化されたと思われている動物取扱業に関しても、実際には動物福祉上の確認・指導制度がないため飼い殺しが続いているか、業者が殺処分しているか、破綻して行政殺処分になるかのいずれかです。頻繁に報道される取扱業者の虐待事例はいかに現在の規制が動物福祉に基づくものではないかの証明です。虐待された動物の行政保護規定はなく、規制の先には殺処分しかありません。現行「規制」とはむしろ、殺処分に追い込むための制度です。

 

■環境省の姿勢と実施すべき政策

 

 環境省には動物虐待を取り締まるという概念が存在しないためすべての動物虐待が野放しになっています。どんなに残酷な取り扱いが行われようと誰もそれを確認しておらず、誰も確認できない制度が行政によって形作られています。従って当然ながら誰も改善の勧告を行っていません。そのため動物たちは苦痛の中で喘いでいます。動物の安否を気遣う人々が実施する動物が置かれている状況を確認する制度と、捕獲・殺処分時の処置方法の審査制度は何にもまして早急な導入を必要とする事柄です。

 

■環境省命令による動物殺害

 

 「動物愛護管理法」を所管する環境省の命令・指示・許可による殺害は、哺乳類で毎年90万匹、鳥類で140万羽にのぼっています。毎年20数万匹の犬猫の殺処分(厚生省命令含む)、毎年6万頭の野生化動物の「特定外来生物法」による殺処分、毎年35万頭の野生動物の有害駆除殺処分、狩猟の名を借りた35万頭の野生動物の有害駆除殺処分、鳥類で140万羽の有害駆除殺処分と広範に実施されており、爬虫類・両生類・魚類に至ってはその殺処分数さえ把握されていません。もはや環境省には動物愛護法を所管する資格はありません。動物愛護法が名ばかりになる原因は環境省の動物殺害にあり、それを許す市民にあります。

 

 

 

 

 

行政が保護を行わないことに関してー撲滅政策・餓死放置死政策について

 

■撲滅政策・殲滅政策・駆除政策

 

 現在日本政府が推進する動物撲滅政策は、家畜伝染病予防政策、人畜共通感染症予防政策、生態系被害防止政策、農林魚業被害防止政策、生活上の被害防止政策など多岐に渡っています。家畜伝染病予防政策では口蹄疫・BSE・鳥インフルエンザによる殺処分政策が採られ、人畜共通感染症予防政策では狂犬病予防法による犬の殺処分・キタキツネなどの野生生物の殺処分政策、生態系の被害防止政策では外来種の根絶政策、農林魚業被害防止政策では有害鳥獣駆除政策、生活上の被害防止政策では犬猫及び被災動物の殺処分政策、野良猫・被災動物に代表される餓死放置死政策、野生動物の殺処分政策、宮島の鹿に代表される餓死放置死政策が採られています。これら動物が人間に被害を与えるとされる問題には解決が容易ではないという問題が含まれています。しかし解決が困難であるという課題とはまったく別に、何の努力もせず、動物を地上から一掃することを目指す殲滅政策を日本政府は採っています。動物の命をゴミのように扱う人々が国政の中枢と行政の中枢を担っているのです。

 

 特に私たちが直接管理している動物に関しては、私たち人間が行動を変えることで実は、殺処分は簡単に無くすことができるのです。犬猫の殺処分制度は本当は明日からゼロにすることができます。「少しずつしか殺処分は減らしていくことしかできない」などという言葉は殺処分を続けたい人々の偽りの言葉です。私たちが冷酷な精神と欲望を制御しさえすれば問題は解決します。人間が直接管理し、存在自体が人間に左右されているということは、自然現象が引き起こす人間の力が及ばない事柄とは異なり、殺処分の原因はすべて人間の動機の中にあるということです。そうであればその原因は人間が取り去ることができるのです。人間の本能に深く結びつく肉食の問題とは異なり、誰もが殺処分は好ましくないと考えている犬の殺処分問題では、一部の不適切な飼育者の問題さえ解決するように制度を整えれば容易に解決します。肝心なのは政策の立案者が残忍な傾向を克服して、私たちが示す解決策「飼育・取り扱い免許制度」(脚注2)を受け入れ、問題を解決する努力を国民に促すことです。改正案に殺処分規制が含まれていないのは、殺処分を継続したい人々が政策を立案しているからです。政策立案の中枢を担った検討委員会委員の多くが野生動物・飼育動物の殲滅政策に手を染めています。心ある人々はそのような政策に組してはならないのです。

 

■「外来生物法」ー撲滅を目指す殺害奨励法

 

 元飼育動物の野生化動物にあっては絶滅を目指して問答無用に撲滅政策が続けられています。(脚注3)国を挙げて動物を殺戮することを推奨するこの傾向、政官学産民とマスコミ、環境NGO、動物愛護団体が一体となって押し進めるこの外来生物撲滅政策はいかに日本国民が道徳心を失い堕落の道を歩んでいるかの証明です。IUCNを頂点とする学術研究者、環境NGOが強力に押し進めるこの外来種根絶理念には、集団的差別や弱者への虐め、排斥主義、血の純血主義、選民思想などの「二ュールンベルグ法」同様の、人間のあらゆる根源的不正の原型が含まれています。国民を代表するマスコミ・国会議員・動物愛護団体は、狂信的生態学者の言いなりになって殺戮に手を貸しています。

 

 環境省管轄「外来生物法」は、貴重でないという理由で種を選り分け虐殺を推進する常軌を逸した恐るべき理念を持つ法律であり、直ちに廃止すべきです。「動物愛護法」が動物の福祉を推進する法律ならば、虐殺を防止するために、虐殺の対象となる動物を「保護動物」と位置づけて、虐殺と虐殺に至る原因を産んだ人間の行為を規制すべきです。動物が問題を引き起こす原因となった人間の行為を規制し、飼育されていた動物であれば生態に配慮した保護制度を設け、外来種などの野生化動物の問題であれば生活被害の防止制度・防除対策を設けて、野生化動物の生態には干渉しないことを定めることが、動物の福祉に関わる法律の役目です。

 

 外来生物の虐殺を推進する「生物多様性条約」に基づく2002年地球環境保全に関する関係閣僚会議決定での「動物愛護管理法」に関する記述は、いかに「動物愛護管理法」が飼育動物の殲滅を目指しているかをよく示しています。(脚注4)行政が身寄りを失った動物の保護を行わないと決めた上で、その原因となった無責任な飼育・取扱や利己的な利用を禁止・制限しようとせず、被害者の動物たちの殺処分を継続するのであれば、動物愛護管理法はもはや動物虐殺法だと言わざるをえません。現行法および改正案は「動物の愛護」の美名を隠れ蓑に、動物の殲滅を勧める極めて卑劣な法律です。立法責任者は、「虐待防止制度」と「行政保護制度」を定めて「動物保護法」を形成すべきです。

 

■海外からの生きた動物の輸入と保護増殖事業は禁止すべき

 

 外来生物問題の原因は人間が動植物の生態に配慮せず、生息地から引き離したこと、遺棄放置したことにあります。その悪しき行為の結果が、環境NGOによる外来種殺戮に結びついています。動物保護法は原因と結果を認識して正しい対策を施すべきです。海外からの生きた動物の輸入と環境省保護増殖事業は直ちに動物保護法で禁止すべき事柄です。

 

■教育課程に混入する「種の選別理念」

 

 近年この外来種根絶主義思想は中学・高校の教育課程に取り入れられつつあります。小学校や公立図書館の児童向け書物にはすでにこの理念があふれています。教壇から生徒に向かって「種の選別思想」が語られるようになることほど恐るべき事態は他にありません。「種の選別思想」を無頓着に受け入れる人にはもはや教育者の資格はありません。教育課程、教材への「殺戮を目指す生態系保全教育」は絶対に導入すべきではないのです。

 

■2004年民主党「引取殺処分の動物種拡大計画」は廃棄すべき

 

 民主党は2004年「動物愛護法」に「引取殺処分動物種の拡大」を盛り込むことを決定しています。動物保護団体からの要請を受けたこの恐るべき法案こそ、改正案の基調となる動物虐殺の傾向です。民主党が政権を得てはじめてとなる動物愛護法の改正を迎えている現在、次々と民主党によって唾棄すべき法案が盛り込まれています。心ある国会議員はこれらの横暴を決して許してはならないのです。

 

■野生生物の生きる権利を尊重する法制度を構築すべき

 

 現在、野生生物の福祉に関する法律は日本には存在していません。なぜなら動物の福祉を管轄する法律は「動物保護法」のみであり、その法律である「動物愛護管理法」が野生動物を見捨てているからです。野生生物関連法では、野生生物の生殺与奪の基準は、人間に役に立つかどうかで決定されています。自然財産としての野生動物を守るか、あるいは害を与えるとして駆除するかの基準により「特定鳥獣保護管理政策」による数の調整が行われています。そこには他者として動物の権利を尊重する姿勢は微塵も見られません。現在、野生動物の命は、殺すことを何とも思わない御用生態学者・環境NGOの手に委ねられているのです。

 

 新しい動物保護法では、殺処分に反対する動物保護団体を半数以上加えた第三者組織を新設し、野生生物行政の殺処分政策の監視・調査・殺処分回避の指導・取り締まり・告発を実施すべきです。以下詳細。

 

1、野生生物行政が愛護法・野生生物法の規定に反して殺処分政策を計画・実施した場合に、事前に行政行為の停止を指導し、実施した場合の罰則を定め、調査・取り締まり・告発を行う専門の部局を設けること。

 

2、特定鳥獣保護管理政策の「殺処分による数の調整」理念を廃棄し、殺処分によらない農林業被害防止のための有効な被害防止対策制度の行政実施義務と違反時の罰則を定めること。【防除対策を最初期に実施すること、防除柵設置義務、追い払い体制の整備、開発制限、自然環境の回復、過疎地農業政策の見直し、やむを得ず過剰繁殖対策を行う場合は殺処分以外の方法(不妊手術・インプラント等)を用いること、被害補償を実施すること】

 

3、遺棄・逸走動物への対処を野生生物対策として実施する場合は、当該動物への行政保護義務を定め、違反した場合の罰則を定めること。

 

4、衰弱死をもたらす政策の回避を義務付けること。

 

5、海外からの動物の輸入・販売を全面禁止し、違反した場合の罰則を定めること。

 

6、野生生物対策への動物保護団体の審査を可能とする第三者機関の設置を盛り込むこと。

 

■餓死放置死政策ー被災動物・宮島の鹿・野良猫

 

 昨年の原発事故によるペット・家畜の置き去りは、予め必要な対策を施せば未然に防ぐことができた問題です。この置き去りの事態は私たちが救助を手がけた20年前の雲仙噴火災害(脚注5)、その後の有珠山噴火災害からまったく進歩が見られません。むしろ保護規制が加えられ後退しています。動物の置き去りを容認する動物愛護法と、置き去りになった動物を保護しないと決め蓄財に勤しむ愛護法第38条・39条で特例とされる行政府公認民間団体、そして殲滅政策をより完全なものにするための環境省による給餌禁止・保護禁止政策で、行政府は動物の殲滅を目指しています。

 

 この餓死放置死政策は飼育動物・野生動物の政策でも一般化しています。野生動物における宮島の鹿餓死推奨政策はその代表的な事例です。口咬事故の危険がない野良猫に対しては日常的にこの対策を採り、快適な人間生活がそれによって損なわれる時には法律をねじ曲げて捕獲殺処分を実施しています。そして利己的な人々が執着する生態系が毀損されると見なされる時には駆除が実施されています。人身危害の危険が予想される野良犬は外来種根絶政策以前に「狂犬病予防法」に便乗して掃討政策が続けられています。原因を生み出した人間の規制は一切せず、殺すだけがこれまでの日本の国会議員の役目だったのです。

 

■人畜共通感染症政策・「狂犬病予防法」の動物殲滅政策

 

 厚生省管轄「狂犬病予防法」による殺処分規定とは、他者の苦しみを顧みない人々が、利己心のみから生み出した法規制です。犬に限らず様々な動物が感染症を口実に殺処分されています。狂犬病予防あるいは海外から持ち込まれる感染症予防の最も有効な対策は、海外からの生きた動物の輸入を禁止することです。殺すことで感染拡大の危険をなくす政策とは、いかにこの政策を形作っている人々が生命の価値を認めていないかの証明です。狂犬病が発生していない状況では殺処分の正当性は存在しません。発生時には隔離して観察しなければならず、発症しなければ健康な動物であり保護しなければならないはずです。狂犬病発生時の殺処分の正当性も動物福祉の観点からは本来存在しないのです。人間の場合は感染の拡大が予想されるからと云って次々と人を捕まえて殺処分するということは行われません。しかし動物の殺処分政策を容認する人々は、本当は人間の場合も自分を守るために民衆を殺処分したいと考えている人々です。このような利己的な人々が「種の保存」理念を持つと「ユダヤ人根絶政策」に至り「外来種根絶政策」に至ります。「殺すことが目的ではない。優秀な種を守りたいだけだ!」と語り殺戮に至るのです。

 

■「動物愛護管理法」の動物殲滅政策

 

 環境省管轄「動物愛護管理法」では殺処分するためにわざわざ行政がその窓口を設けています。行政殺処分の原因となった無責任な飼育者の飼育を制限すれば、殺処分は数年でゼロになります。何十年と動物愛護団体が行ってきた「新規飼育時の審査制度」を導入することで殺処分の原因が解決するのです。直ちに飼育前の審査制度を含む「飼育取扱ライセンス制度」を動物愛護法に導入すべきです。動物愛護法がそのような対策を導入しないのは、殺したい動物を殺せなくなると都合が悪い人々が動物愛護法を形成しているからです。

 

 動物愛護法には保護をする規定はなく、殺処分を推進する規定だけが存在しています。動物愛護法では殺処分実施組織が国民のみだりな殺害を取り締まるとしています。国民は取り締まる人々のみだりな殺害を真似て動物へのみだりな殺害を繰り返しています。動物愛護法は現在、国民にみだりな殺害をそそのかす原因になっているのです。行政保護制度を構築するための「行政保護義務」の法律への明記が直ちに必要です。

 

■怠惰な学校動物飼育

 

 多くの小学校で教材として動物が飼育されています。その結果飼い殺しが常態化しています。文部科学省委嘱研究、日本初等理科教育研究会からは優れた指導書「学校における望ましい動物飼育のあり方」(脚注6)が出版されています。また動物愛護管理法に付随して学校飼育動物の飼育に係わる「基準」が存在しています。しかしそれにもかかわらず学校現場ではその存在さえ知られていません。適正な動物の飼育方法の指導、飼育状況の監視、飼育前の審査制度を強制力を持って法律の中に位置付ける必要があります。

 

■生命を尊重する人々が第一に採り入れる政策は、動物保護団体への支援と賠償政策である

 

 もし国会議員が少しでも生命を尊重したいと望んだ時には、まず第一に保護をしている人々への支援が行われたはずです。自分ではできないけれども重要なことを誰かがしていると人が考えた時にはまず重要なことをしている人を応援するものです。それが良心を持つ人間の自然な姿なのです。しかし行政府は一度もそのようなことを行ったことがありません。今回の震災では、最も救助に貢献した任意団体を排除する始末です。行政が行うことは子飼いの愛護団体を使って良心的な団体を封じ込めることだけです。国会議員は、本当に動物のために活動している人々を支援すべきなのです。動物保護団体への保護費用支援制度(賠償制度)を法律に盛り込むべきです。

 

 

 

 

 

民間動物保護団体を監視、規制し、保護を制限することに関して

 

■卑劣な動物保護規制

 

 本改正案(政令改正含む)では、民間の動物保護・動物救助活動に対して禁止や制限を加える法案が多数加えられています。改正案ではほとんどすべての動物の取り扱い・虐待が規制の対象外になっているのに反して、民間の保護活動には規制が加えられようとしています。動物保護団体を営利事業者と見なし規制するもの、多くの動物を保護している動物保護活動を「多頭飼育規制」として取り締まるもの、政府のやり方に従わない動物保護団体を救助の現場から閉め出すもの、それに反すればすべての動物愛護団体の救助を認めないというもの、そして環境省検討小委員会提言「動物愛護団体を監視する仕組みを構築する」ものなどの規制が実施され、また予定されています。 行政が自らの虐待や虐待の放置を継続した上で、民間の動物保護を制限するというのであれば、本改正案は「良心の自由の侵害」を禁じた憲法の定めに反する重大な憲法違反です。被災動物は放置されたままであり、身寄りを失った動物は行政に殺されるままです。本改正案は動物を殺す人々によって形作られており、動物を殺す人々が動物を救済する人々を取り締まるという極めて倒錯した法案です。「動物保護団体監視法案」の審議に際しての意見聴取に至っては、監視法案提案者である審議会委員推薦の法案に賛成する一団体のみというありさまです。しかもその一団体とは、実際の保護実態がなく、保護をしないために保護の必要を認めない動物愛護団体です。動物を保護する動物保護団体の意見をまったく無視し、逆に監視や取り締まりを推進する法律とはいったい何を目的としているのでしょうか。

 

 本来、行政殺処分や、国の政策により身寄りを失った動物の餓死・衰弱死の事態の是正を目的とする動物保護活動には、国による支援や賠償が必要であったはずです。行政は殺処分の廃止や、遺棄・放置された動物が餓死・衰弱死しないように対策を施さねばならなかったはずです。それにも拘らずその是正を行わず、反対に保護を取り締まるとは極めて異常な政策です。規制が動物福祉の理念ではなく、動物の撲滅を推進するために導入されていることはこのことからも明らかです。日本国民はこうした政策を許すほど愚かになってしまったのでしょうか?

 

 また今回の原発事故による救助のための立ち入り許可をNPO法人だけに限定したことは極めて大きな問題を含んでいます。本来は行政府が救助隊を組織して置き去りになった動物の救助をする「義務」があったにも拘らず、すなわち民間動物保護団体に救助を「依頼」しなければならなかったにも拘らずそれを怠り、反対に認めた者以外には救助を「許可しない」とはどういうことなのでしょうか?行政府は常に動物保護の理念に反する政策を採っているのです。

 

 しかも今回の動物保護団体規制では動物福祉目的で非営利の動物保護団体も規制すると明言しながら、莫大な人件費・事業費を投入して殺処分を行う行政事業者は勝手に適用除外としています。動物福祉目的で規制を導入するとしながらこれまで述べてきた様々な虐待は何も改善しない、保護をする人々にはその活動を禁止し、自分たちの残酷な殺処分は規制を適用除外するというならば、その規制は明らかに動物福祉目的ではなく保護すべき動物の殲滅、保護活動の殲滅を目的としています。

 

 従来、環境省の動物関連政策は単に殺害の合法化のみに向けられており、現在、動物愛護管理法は日本国憲法の普遍的人権理念と著しく異なる法体系を構築するに至っています。動物を殺害することを国是とし、動物の保護を禁じた「特定外来生物法」に準拠した殺戮政策・動物保護規制が「動物愛護管理法」の分野で次々と新設されています。宮島の鹿における保護目的の給餌の禁止措置、身寄りを失った動物への給餌の違法化などの餓死政策はその典型的な例です。この殺処分政策や餓死政策を合法とする精神が動物保護を違法とし、人権を侵害する法令に結びついています。しかし民間団体が動物を保護しなければならなかった原因の「行政殺処分」を放置して、民間の動物保護を規制することは日本国憲法第19条「良心の自由はこれを侵してはならない」を侵す重大な人権侵害です。

 

 今回の動物保護規制には憲法上の様々な問題、手続き上の様々な瑕疵が含まれています。まず非営利団体を営利事業者とみなすことが合法か否かという大きな問題が存在しています。そして動物保護団体を営利事業者と見なす環境省政令では、5年も前の法律からの委任を基に、しかも非営利民間団体の規制を可能にする文言がない法律と政令を基に、国会の承認さえ得ず、省庁の恣意的な判断で実施するのは常軌を逸しています。しかもその規制対象の活動の原因が行政殺処分であり、その規制対象の行為は、憲法で侵すことを固く禁じられた「良心の行為」です。

 

 憲法第41条では「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」として政令による国民の権利への介入を禁じています。国会による法律のみが公共の福祉の理念を持って国民の権利への介入が許されているのです。政令への白紙委任を合法とする国家行政組織法第12条3による省庁権限の行使とは実際には、各省庁の非合法活動の展開なのです。

 

 

 

「多頭飼育規制」という名の殺処分推進法

 

 また今回導入が予定されている「多頭飼育規制」は、殺処分推進法の性質も備えています。2004年「特定外来生物法」の外来生物の飼育規制施行前後には夥しい数の飼育動物の遺棄と殺処分が生じています。飼育規制は殺処分を産むのです。政策立案者は福祉条項を盛り込む際にはよく考えて政策を形成すべきです。飼育規制を盛り込む際に必須となる制度は、規制され飼育されなくなった動物の行政保護義務です。行政保護義務の法定を欠く飼育規制は「殺処分推進法」にすぎないのです。

 

 しかも「多頭飼育問題」の原因は、不適切な飼育者と規制を行わない立法者にあり、単なる頭数規制は対症療法にすぎないものです。必要なのは「多頭飼育規制」ではなく、それ以前の「不適切な飼育者の飼育前の飼育制限」です。「多頭飼育問題」の解決策は「飼育前の審査制度」「飼育時の指導制度」を含む「飼育・取り扱い免許制度」の導入なのです。

 

 また当然ながら「多くの動物を保護した」という「多頭保護」が、動物福祉を軽視する行政職員によって、監視・規制されるとしたら極めて倒錯した政策です。立法者は、動物保護団体あるいは動物愛護家が動物を保護せざるをえなかった原因をよく考え、「多頭保護」には支援と賠償を盛り込むべきです。安易な動物保護規制は憲法違反なのです。

 

 

 

 

 

「動物の殺害を原則禁止」として「禁止を解除する場合」を法定すべき

 

 動物保護法では日本国憲法に準じて、まず動物の権利を守る普遍的な原則「殺害の禁止」を設けて、その後「原則」を人間の都合で破棄したことが判るように「禁止を解除する場合」を法定し、人間が動物に行ってはならない行為を罰則付きで禁止すべきです。

 

 日本の国内法の一つである「動物の愛護と管理に関する法律」は、本来「日本国憲法」の理念に沿って形成すべきものです。「日本国憲法」には普遍的人権規定が定められており、その基本的理念は普遍的な倫理の法定を前提としています。従って「動物の愛護と管理に関する法律」が国内法の体系に合致するためには、人間が動物に行ってはならない行為を、倫理の観点から法定しなければなりません。ところが、現時点では人間は倫理的観点から動物に行ってはならない行為を普遍的に法定できない状況にあります。「肉食の禁止」を法定することは現時点では困難です。しかしだからと云って曖昧にしたりごまかしたりすれば欺瞞が法律に入り込むことになります。

 

 これらの相反する条件を統合する唯一の方法は、普遍的倫理的観点から順を追って現実をそのまま法定していくこと、つまり「動物の殺害を原則禁止」し、それができない場合、やむをえず殺害しなければならない場合を「殺害禁止を解除する場合」として法定することです。

 

 現在動物をとりまく動物殺害は多岐に渡っています。しかし多くがごまかしたまま容認されています。そのため「動物の愛護と管理に関する法律」は、現在典型的な欺瞞の法律として存在しています。生命尊重を謳いながら「外来種の殺戮は別」と、暗黙の但し書きが存在する事態に至っています。私たちは何故このような暗黙の但し書きを容認するのか、それは正しいことなのかを考え検証する時期に来ています。

 

 

 

 今回の改正案では動物に「5つの自由」を付与する法案が提案されています。すなわち「飢えと渇きからの自由」「苦痛、傷害又は疾病からの自由」「恐怖及び苦悩からの自由」「物理的、熱の不快さからの自由」「正常な行動ができる自由」です。それは例えば「動物に飢えと渇きを与えることを罰則を定めて禁止する」「苦痛、傷害を与え、疾病を放置することを罰則を定めて禁止する」等と法定される可能性があれば優れた法案と云えます。しかし「殺害からの自由」(殺害の禁止)を欠き、「禁止を解除する場合」の法定を欠く場合には、欺瞞が法律に定着する危険も併せ持っています。ちょうど「外来生物法」での安楽死規定が殺害を容認する規定へと変貌するようにです。安楽死規定は、福祉条項として機能する一方、「安楽殺」を考えなく国民に実行させる危険な側面も併せ持っているのです。ですから法律が欺瞞とならないように、「殺戮」と「福祉条項」が同義とならないように、一般原則として動物保護法に「殺害の禁止」を盛り込む必要があるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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